ベトナムにおける女性の歴史的失敗と女権の回復

西欧古代・中世における経済社会が発展してきた近世になると、家族における女性の地位が低下してきた。具体的に、夫は妻の固有財産の処分権や資産の単独処分権、離婚の決定権を有するなど、夫権が圧倒的であり、そして、女性が法的な能力さえも認めないと規定する成文法と習慣法があった。 18世紀末にフランス革命の後、「女性の世界史的敗北」が法律に残る証拠になった点も多数であった。具体的は、婚姻法には、妻の訴訟無能力・行為無能力、妻の「服従」義務を規定した。そして、離婚法は有責主義の裁判離婚となったが、実質上、同じ行為に対して、男女扱いに不平等が顕在化していた。また、財産法においても、離婚後、共通財産の折半を採用という積極な面があったが、婚前・婚後の財産の管理権が夫に集中するなど、不平等な点がある。また、女性の結社、政治参加なども禁止された。

19世紀末から21世紀まで、女性選挙権の促進など、女性参政権運動の結果、女性の選挙権が20世紀において、正式に実現でき、ついに、「女性の復権」につながった。

母国のベトナムでも現在、女性に対して、世界においても珍しく理不尽な不平等を求められていた。それは、出産、育児、家事を担うだけではなく、社会でも活躍して、男性と同様に稼ぐべきとされている。社会に出て、活躍の場が制限されている日本女性に比べて、ベトナムは女性にとって、活躍の環境を整えて、良い社会という風に一概に見えるが、実は全く異なる。具体的に、育児・家事について、男性からの補助も少ないのに、男性と同様に稼げることを求められるのは体力的に弱い女性にとっては、極に、残酷である。仮に出産後・育児期間において、仕事をつけない女性に対しては、夫、夫の家族から「夫が養わなければならない重い荷物で、怠け者だ」と扱いされている。

先生の授業を受けて、自分も体系的に原因を調べてみた。確かにベトナムの特徴的な歴史背景において、女性の敗北につながる。まず、隣国の中国から儒教の男尊女卑から強く影響を受けていた。そして1975年に戦争終了後に90年代後半まで閉鎖経済であった。それで、2000年代まで敵国であるアメリカや欧州からの文化、映画なども禁止されており、むろんフェミニズムなど女性解放の進歩的な思想を受けなかった。それで、1987年生まれた私は子供頃である90年代には大家族の行事とパーティーはいつも料理や準備、片付の作業は女性の責務として教えられており、男性の従兄弟は何もしなくてもいいとされていた。それで、何で女性にこのように不平等な扱いをされているかと疑問を持って、反抗した私は母と叔母たちは「女のお前らは今しっかりしないと、結婚してくれる男性がいないよ、結婚しても、夫と義理親の家族が怒って、離婚されるよ」また、「男性のお兄さんたちが将来、奥さんたちに世話をしてくれるから」など、社会的な地位を持っている叔母もそういうふうに教え込んでいた。しかし、私はどうしても納得できず、あんな社会には絶対嫌で、勉学に頑張って早めに留学し、逃げたかった。

近年、ベトナムではインターネット発展、欧米のドラマ、文化の普及で、欧米の価値観を受け入れて、社会も急に変化している。90年代のように、理不尽なことが少なくなった。先生のフランスの女性の復権の歴史を学んで、また色々学べるようになった。それは、女権が「ただのもの」ではない。経済・社会の進化、外部からの影響もあるが、やはり女性たちが自主的に闘って、自分の権利を主張しないと、自然に男性優位の社会から平等の権利を与えない。前世代の女性たちがいかに不平等な扱いを受けて、大変な環境の中で女性の権利のために闘えたかによって、今日の自分たちの「より平等なジェンダー社会」になったのか学べた上で、自分の次の世代の女性のために、闘い続けるべきだと思うようになった。

Picture source: Homepages of Pennsylvania State University, European Union